小3・小4くらいになると、学校で作文を書く機会が増えてきます。
日記。
読書感想文。
行事の感想。
授業で考えたことを書く課題。
そのたびに、保護者の方からよく聞かれるのが、
「本を読ませれば、作文も上手になりますか」
という相談です。
たしかに、本をよく読む子は言葉をたくさん知っています。
表現の幅も広がります。
物語を読むことで、文章の流れや構成にも自然に触れることができます。
その意味で、読書は作文の土台になります。
ただし、ここで注意したいことがあります。
本を読むことと、作文を書くことは同じではありません。
読書をしているだけで、自然に作文が書けるようになるとは限らないのです。
【本を読む子は、作文に必要な材料を持ちやすい】
本を読むことには、大きな意味があります。
まず、語彙が増えます。
「楽しかった」
「すごかった」
「びっくりした」
だけでなく、
「わくわくした」
「不思議に思った」
「少し悔しかった」
「安心した」
「心に残った」
など、気持ちや様子を表す言葉に触れる機会が増えます。
作文では、自分の考えや気持ちを言葉にする必要があります。
そのとき、知っている言葉が少ないと、どうしても同じ表現ばかりになります。
本を読む子は、日常生活だけでは出会いにくい言葉に触れています。
そのため、自分の気持ちや出来事を表すための材料を持ちやすくなります。
また、読書を通して、文章の流れにも慣れていきます。
はじめに何が起こるのか。
途中でどんな変化があるのか。
最後にどう感じるのか。
こうした流れを、物語や説明文の中で自然に経験しています。
これは作文を書くうえでも大切な土台です。
【それでも、読むことと書くことは違う】
ただし、本を読んでいるからといって、すぐに作文が得意になるわけではありません。
なぜなら、読むことと書くことでは、頭の使い方が違うからです。
読むときは、すでに書かれた文章をたどります。
登場人物。
出来事。
順番。
気持ち。
結末。
これらは、作者がすでに整理してくれています。
子どもは、その流れを受け取りながら理解していきます。
言い換えるなら、読むときは、他人が整理してくれた一本のレールの上を歩いている状態です。
一方で、作文を書くときは違います。
自分の頭の中にある出来事や気持ちを、自分で取り出さなければなりません。
何を書くのか。
どの順番で書くのか。
どこを詳しくするのか。
自分は何を感じたのか。
なぜそう思ったのか。
これを自分の中で整理して、文章にする必要があります。
書くときは、頭の中にある散らかった材料の中から、自分で必要なものを拾い集め、一本のレールを敷く作業になります。
ここが、読むこととの大きな違いです。
読書は、整えられた文章を受け取る力です。
作文は、自分の中にある未整理の経験や気持ちを、順番に並べて外に出す力です。
この二つはつながっています。
しかし、同じ力ではありません。
【作文が苦手な子は、言葉がないのではなく、整理できていないことが多い】
小3・小4の子が作文を書けないとき、保護者は「語彙力がないのかな」「表現力が足りないのかな」と考えがちです。
もちろん、語彙力も表現力も大切です。
しかし、実際には、言葉以前のところで止まっていることも多くあります。
何を書けばよいかわからない。
最初に何を書けばよいかわからない。
楽しかったことはあるけれど、どう説明すればよいかわからない。
気持ちはあるけれど、理由が言葉にならない。
このような状態です。
子どもの頭の中には、材料が何もないわけではありません。
ただ、出来事、気持ち、理由、順番が混ざっているのです。
その状態で、
「もっと詳しく書きなさい」
「気持ちを書きなさい」
「本を読んでいるんだから書けるでしょう」
と言われても、子どもはなかなか動けません。
作文に必要なのは、きれいな言葉をたくさん並べることではありません。
まず、自分の中にある材料を整理することです。
【読書だけで作文が伸びにくい理由】
読書は、作文の土台になります。
しかし、読書だけでは足りないことがあります。
それは、自分で書く練習です。
たとえば、野球の試合をたくさん見ている子が、すぐに上手に打てるわけではありません。
料理番組をたくさん見ている子が、すぐに料理を作れるわけでもありません。
見たり読んだりすることには意味があります。
ただ、それを自分でやってみる練習とは別です。
作文も同じです。
本を読むことで、言葉や文章の流れには触れられます。
しかし、自分の体験を言葉にする練習をしなければ、書く力は育ちにくいのです。
読む力があるのに作文が苦手な子は、珍しくありません。
その子は、文章を理解する力がないのではなく、自分の中の材料を外に出す経験が少ないだけかもしれません。
【作文の第一歩は、日記で十分】
では、小3・小4の子が作文に慣れるためには、何から始めればよいのでしょうか。
おすすめは、日記です。
ただし、立派な日記を書く必要はありません。
長く書かせる必要もありません。
最初は、短くても構いません。
今日あったことを一つ書く。
そのときにしたことを書く。
見たものを書く。
思ったことを一つ書く。
これだけで十分です。
たとえば、
「今日、体育でリレーをしました。最初はぬかされそうであせりました。でも、最後まで走れたのでうれしかったです。」
このくらいでも、作文の練習としては意味があります。
大切なのは、出来事と気持ちがつながっていることです。
さらに少し慣れてきたら、
なぜうれしかったのか。
どの場面であせったのか。
誰に何と言われたのか。
次はどうしたいのか。
こうした問いを一つ足していきます。
作文は、いきなり長く上手に書くものではありません。
短い日記の中で、出来事と気持ちを結びつけるところから始めればよいのです。
【親は添削係ではなく、材料を整理するナビゲーターになる】
子どもが日記や作文を書いたとき、親はつい直したくなります。
この表現は変えた方がいい。
ここはもっと詳しくした方がいい。
順番がおかしい。
漢字が間違っている。
もちろん、直すことが必要な場面もあります。
ただ、小3・小4の作文で最初から添削しすぎると、子どもは「作文は直されるもの」と感じやすくなります。
すると、書く前から身構えてしまいます。
この時期に大切なのは、文章をきれいに整えることよりも、書く材料を出すことです。
親の役割は、てにをはを直す添削係でも、なぜ書けないのかを問い詰める追及係でもありません。
子どもの頭の中に散らばっている材料を、一緒に取り出し、並べていくナビゲーターです。
「何があったの?」
「そのとき、何を見たの?」
「誰がいたの?」
「どこが一番心に残った?」
「どうしてそう思ったの?」
このように聞いていくと、子どもの頭の中にある材料が少しずつ出てきます。
親がすべきなのは、子どもの文章を大人の正解に近づけることではありません。
子どもの中にある出来事や気持ちを、書ける形に整理することです。
たとえば、子どもが「楽しかった」とだけ書いたとします。
そこで、
「もっと詳しく書きなさい」
と言うだけでは、子どもは何を足せばよいかわかりません。
それよりも、
「何をしているときが楽しかった?」
「誰と一緒だった?」
「そのとき、どんなことを思った?」
と聞いていく方が、作文の材料は出てきます。
作文が苦手な子に必要なのは、最初から上手な表現を与えることではありません。
書く前に、頭の中の材料を見える形にしてあげることです。
【読書と日記をつなげると、作文は伸びやすい】
読書と作文は、別々のものではありません。
ただし、読書だけで終わらせるのではなく、書く練習につなげることが大切です。
本を読んだあとに、感想を長く書かせる必要はありません。
最初は一言でも構いません。
「どの場面が心に残った?」
「どの人物が好きだった?」
「自分だったらどうしたと思う?」
「読んでいて、どんな気持ちになった?」
こうした問いに、短く答えるところから始めます。
それを一文で書くだけでも、読むことと書くことがつながります。
たとえば、
「主人公が友だちを助けたところが心に残りました。自分だったら少しこわくて迷うと思ったからです。」
このように、場面と理由が書ければ十分です。
読書で出会った言葉や場面を、自分の言葉で少し書いてみる。
この積み重ねが、作文の力につながっていきます。
本を読むことは、作文の材料を増やすことです。
日記を書くことは、その材料を自分の言葉で外に出す練習です。
この二つがつながると、作文は少しずつ書きやすくなります。
【まとめ】
本を読む子どもは、作文に必要な土台を持ちやすくなります。
語彙が増える。
文章の流れに慣れる。
気持ちや場面を表す言葉に触れる。
これは、作文を書くうえで大切な力です。
ただし、読書をしているだけで、自然に作文が得意になるわけではありません。
読むことと書くことは違います。
読書は、整えられた文章を受け取る力です。
作文は、自分の中にある出来事や気持ちを整理して出す力です。
小3・小4の作文で大切なのは、最初から上手に書くことではありません。
まずは、短い日記から始めることです。
今日あったこと。
そのとき見たこと。
自分がしたこと。
感じたこと。
それを短く書く。
親は、添削係や追及係になる必要はありません。
子どもの頭の中にある材料を一緒に整理し、書ける形にするナビゲーターになればよいのです。
その積み重ねが、作文を書く力を少しずつ育てていきます。
